大太鼓試し撮り

町内会の繋がりとデジタル社会―牧歌的な育成会は程なくしてジ・エンド

 デジタルとアナログに関して考え続けている昨今、身近な所から具体的に考えていきたい。

 私の住む町会では、他の町については詳しくしらないが、かなり繋がりの強い町内会組織が存在する。年に一回の例大祭があり、青年会、青少年育成会などのあらゆる組織が生成されており、子供は基本的に皆で育てるもの、という昭和的な不文律によって支えられている。
 私はかねてより、例大祭の太鼓係として、町内会にはかなり関わっている。20代としてみたら、恐らく一番関わっているといっても過言ではない。
 前から思っていたが、私の世代と、それより下の世代は、町内会の催しに殆ど顔を出さなくなっている。料理を作って用意して、会場を設営して、いう事聞かない子供を指揮して、近隣の方々に挨拶して回っているのは、小学生の親世代、つまり30代~40代世代だ。
 子供がまだ小学生にもなっていない我々世代、とりわけ地域で提供されている『娯楽』よりも、デジタルなものに勤しんでいる我々は、例え子どもを持ったとしても、もはや今まで通り休日を『犠牲』にして育成会行事に参加することなんてないんじゃないかと思う。
 そういった町内行事を企画して運営しているのは、昭和の方々だ。
 寄合的な、昔ながらの雰囲気をまとって、公会堂の畳の上に折りたたみテーブルを広げて、年季の入った座布団、そして飲み物はお茶。書式なんてあって無いような体裁の資料をもとに、例年通り進めていく。
 我々世代に関してなんて、殆ど知らないだろう。

 どうするんだろう、僕らの世代は、ご近所でわいわいやるより、ネットを通じた本名も知らない人々と繋がってた方が楽しいと感じてしまうんだよ。
 むしろ、そんなリアルの直接的な関係なんて、『重すぎる』とばかりに感じてしまうんだよ。隣の人とより、地球の反対側の人との方が多く会話していることもあるかもしれない。

 ネットを通じて、何でも知った『気』になってしまっているのが、我々の世代なんだよ。この、肥大化した自己・パーソナリティと、全方位に敵なしといった態度を取りつつ、実際に面と向かって話すときょどっているのが、このどうしようもないデジタル世代黎明期の僕らなんだ。

 もう、土日に子供を集めてソフトボールにふっとボール、打ち上げに皆でバーベキューなんて、コスパで考えたら疲れるだけだと思ってしまうでしょう。

 タバコを吸いながらキャッチボールしてくれた監督。そんな環境、今となってはどこを見渡しても見られないではないか。

 団塊世代が引退して我々が町内を回さざるを得なくなる時が、確実にやってくるでしょう。その時、どういった運営方法が良いのか。

 ・回覧板→メールで配信
 ・定例会→ライブ配信可。
 ・例大祭→簡略化? コンテンツも変わる。
 ・集金→銀行振り込み。
 ・縁日→ライブ配信、町会を離れた人でも参加可能。

もう、この土地に住む、住んでいるって事が、だんだんとあまり意味を持たなくなってくるんだろう。
 今はまだ、前の時代の人々が運営しているから、何となくヌメヌメした人間関係が残っているけど、これが終われば、あとはドライな人間関係だ。


孤立して、孤独を感じて、だけど、それをどう埋め合わせたら良いか、自分の頭で考えられない。

デジタルの息抜きとして、リアルが存在する。

リアルの息抜きには、何もない。『リアル』とは、人間の三大欲求を満たすだけの、一面にしか広がっていないワールド。

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